空の雪は、ただ落ちる。
 空はまるで僕らが無為に生きているように。
 まるで僕らが、何もできないように。


 冬は、酷く寒い。空が曇る。雪も降る。
 冬は雪が積もりすぎて外出もままならない。そういう街。
 曇天に、雪も相まって、空の向こうの明日の色は見えることはない。
 あまり、賑わうことのない街。

 過ぎ行く日は止まることはなく。
 無情とも言える程に一定に、進み続ける。
 過ぎた日は、既に三百日に迫っていた。一年を数えるにはそう遠くはない。
 もうかなり昔の話のような気もするが、一年も経ってない。
 そう――それは古ぼけた昔話なんかではなく、間違いなく現実に起こった出来事なのだ。
 冗談にするには、かなり笑えない。


 真冬の、雪が降る日の話。
 僕は何時ものように、小さな窓から外を見ていた。
 見える者は何時も変わらず、曇天と白い雪。
 僕は体が不自由で、喋ることもできない、可哀想な少年「だった」。
 動くにはあまり適していない体を懸命に動かし、毎日毎日、窓の外を眺め続けた。
 それに意味があるとか無いとか、そんなことは考えたことはない。何となく、と言う程軽い気持ちではなかったが、さしたる理由は持ち合わせて無かった。
 ただあえて言うなれば、僕が他にできることはほとんどなかったから。

   小さな窓の外には、本当はどこまでも世界が繋がっている筈だけど、そこに見えるのは白い大地と遠くの針葉樹。冬となれば人も通らない。
 夏だってこんな田舎町の外れの家、通る輩は居なかったとは思うが。
 しかし――それは何時もの話。今日は、少し違った。
 白い大地の端に、影が見えた。
 見慣れないその影を何と判断するかには少し時間がかかった。

 小さく吹雪く雪にはためく布、木よりも小さな背丈。そしてそれは、こちらに向かって動いていた。
 ここまで情報を整理して、僕はやっと気づいた、あれは人間だ。
 僕の思考がくるくると巡っていた。何でこんなところに?何が目的?強盗?吹雪の中を行くメリットは?旅人?旅人ならなんでこんな外れの家に?
 憶測は行き着くことを知らず、僕の頭の中を巡っていく。勿論、その間も時間は何時もと同様の速度で進む。そうすると、遠くに居たはずの人間も、何時の間にやら既に家の近くまで来ていた。
 憶測を進め十数秒、戸から小さな音が漏れた。

 コンコン

 一瞬遅れて、人の声。

「すみません、少し頼みたいことがあります。中に上げてとは言いません。ただ、少しだけ毛布と、食べ物を分けてくれませんか?相応の代価は持っています、お願いします」

 綺麗な、女性の声だった。
 それとともに、僕は言ってることの小さくない矛盾を感じた。
 どうやら旅人らしいが、相応の代価――つまりお金も持っていると言うのに、何故こんな外れの家まで?
 僕が戸の方を向いて考えていると。母さんが戸を少し開けた。
 綺麗な声の主が顔を覗かせる。
 声に違わぬ美しい顔立ち、ただその表情には疲労が色濃く映っていた。
 そして顔を覗かせた瞬間に、僕が巡らしていた答えもすぐに見つかった。
 褐色の肌、頬に走る大きな刺青。南方の部族――名前は忘れたが、僕ら北方の国々は彼らを呪われた種と呼び、迫害を重ねている。もっとも、僕はその部族の人間を見るのは初めてだから、迫害の実態を類推することは出来ても、知恵として知っているわけではない。
 何時もは優しい母さんの表情が一瞬曇ったが、すぐに明るく優しい笑顔に戻った。

  「遠慮しなくていいわ、上がって、ゆっくりしていって下さいな」

 そういうと、中に入るように促した。褐色の肌の女性は、少し困った顔をしたが、母さんがもう一度促すと、力無げに家の中へ入ってきた。


 彼女の名前は、リアラと言うらしい。僕は口で喋ることは出来なかったが、幸いここには文明があり、この家には紙とペンとインクがあったので、僕も会話に参加させてもらった
。  彼女は詳しいことは言わなかったが、誰かから逃げているらしい。ここまで逃げてくる間に、ほとんど人を頼りにせず来たが、ここまできてそれを諦めて宿を頼ろうとした――けれど頬に走る刺青を見られ、泊められないと言われ、民家も幾つか尋ねたのだが、やはり同じ結果だった
。  どこかで遊んでいる子供に、町の外れに変わり者の家が在る、と言われてここまで来たらしい。
 流石に「変わり者」の一説が出たときには、母さんは苦笑した。
 まあ、僕もちょっと変わっていると言うことは否定できないと思う。後が怖いので口は挟まないでおいたけど。
 リアラは美しい女性だった、年は僕らの暦で多分十七、八歳。僕より一つか二つは上だと思う。
 ちょっとした苦笑でも笑うとそれは一つ、美しい景色のようなものだった。
それと、こんなことを言っては悪いとは思うのだが、こちらの質問に答えずに目を伏せる仕草はとても美しかった。
 母は彼女にしばらく滞在するように勧めた、無論彼女は迷惑をかけられないと断ろうとした、が、僕が生まれきて十六年、母さんが自分の意見を通さなかったことは見たことはなかった。
 リアラが僕の家にやってきたその日も、その姿を見ることはなかった。


 リアラは初め、何か手伝えるようにと母に言った、そこで言い渡された仕事は「僕の話し相手になること」らしい。
 そういうわけなので、僕は一日中彼女と話していた。ほとんどは彼女に僕が尋ねていたので、会話と言うには多少語弊があるような気もした。
 南の部族に関しては呪われた種族の一言で片付けられることが多くて、中々実態を知ることが出来なかったので知識欲の強い僕としては非常に嬉しいことだった。
 色々なことを聞いたが、彼女自身のことはあえて聞かなかった。聞いても、そこに幸福があるとは思えなかったから。
 そうして、ある冬の日々はゆっくりと過ぎ去っていった。


 リアラが僕の家にいるのが当たり前に思えた頃、彼女は僕に初めて質問をしてきた。  

「喋れないのは、辛いですか?」

 とても優しくて、とても平凡な質問。
 静かに、悲しそうに、僕の瞳を、彼女は見つめる。
 逃げるように視線を落とし、紙にペンで文字を書く。

“今こうして喋ることができるから、そこまで不満じゃないよ”

 音のない、声。
 その時に僕はどんな顔をしていたんだろうか、わからない。
 けれど、決して笑顔なんかじゃなかった。
 この体でも知識は集めることはできる。それでも、不満がないなんて言ったら、それは大嘘だ。
 それでも僕は、彼女に強がった。
 それが僕の意地なのか、傲慢なのか、優しさなのかは、わからない。
 ただ、そうしたいから。それだけ。
 冬のある日に、彼女は何を思ったのかは知らない、僕はいつものように彼女に質問を続ける。


   それから数日経って、リアラは外に出かけるようになった。
 無論、人気のないところに限ってではあるが。
 僕は心配だったけど、彼女は大丈夫だから、と何度も言っていたから止めないことにした。
 …彼女が居ない、ということは話し合う相手が居ないということなので、不満は無いではなかった。
 仕方がないので、読み終わった本を読み返す。
 時間の流れが変わったような錯覚に陥る。彼女が何時帰ってくるのかを気にかけながら、大分昔のつまらない冒険小説を読んでいた。

 日が暮れきって少し、彼女は帰ってきた。
 僕は安堵した。一応表情は何時もと変わらないつもりだったが、実際そうだったかは定かではない。
 夕飯は彼女がとってきた兎を食べた。
 おいしいかと訪ねる彼女に、僕は迷うことなく頷いた。
 彼女は笑う、僕も笑う。
 多分、こういうことは幸せと言うんだと、僕は思った。

 それから彼女はよく外へ狩りに行くようになった。
 それは居候としての申し訳のなさからか、彼女自身の娯楽としてなのか、それとも――いや、これ別にいい。とにかく僕には、どちらなのかはわからなかった。
 
 時は早いともゆっくりとも言えなかったが、確かに冬は終わりへと向かっている。
 積もった雪はまだそのままだったが、雪が毎日降ると言うことはなくなった。
 雪の降らない白銀の大地には、時が止まったみたいに動く者は何もなくて、少しずつ沈む日に気づいて時間が流れていることを思い出す。 
 リアラは今日も、狩りに出かけている。
 もうそれが当たり前すぎて、心配になることも、安堵を覚えることも無くなった。
 日常は少しずつ色を変えて、流れる。
 

 日常の色が変わると言うなら、それは当たり前のこと。

「そろそろ、私旅立ちますね」

 リアラはそう言った。
 僕は読んでいた本を落とした。母さんはそれを当たり前のように、全く動じなかった。

「もう冬も終わるし、いつまでもやっかいさせてもらうわけにもいきませんから…」

 彼女にここを出てほしくはなかった。
 だからといって引き留める理由はないし、そのための言葉も僕は持ち合わせていない。
 母さんはそれに了承すると、彼女の旅支度を手伝った。
 何をすればいいかは、わからなかった。
 どうやって別れれば幸せなのか、わからなかった。
 ただ、ここに時間があるのを初めて知った気がした。

 それから二日、彼女はここを出ていった。
 僕は抑揚のない字でこう伝えた。

“またあえたらいいね”

 彼女は少し涙目になって頷いた。僕の手を、リアラは握る。
 そして僕の手に何かを握らせた。
 別に何があったわけでもない。
 冬に行き場のない旅人が僕の言えへ偶々来ただけ。それだけだ。
 涙は流さなかったけど、いつもより視界がぼやけてたのはきっと気のせいじゃない。
 それでも僕は、かけるべき言葉はなかった。

 彼女が僕に握らせたもの、それは紙片だった。
 そこには、下手くそな北方語でこう書いてあった。
「後三日待っていてください」それだけ。
 全く僕には見当もつかず、疑問が頭を埋めるばかりだった。

 
 悲しみと疑問を抱えたまま、その三日はさっさと過ぎた。
 朝が空を覆って、僕は目を開ける。
 朝か…
 ?
 妙な違和感がある。今、鼓膜が揺れた気がする。
 雪の残る大地には、朝の静寂が広がり。母さんは寝室にいるはずだ。ここに、音はない。

「…おかしいな…」

 疑問を発したはずのその声が、答えだった。
 僕は目を丸くする。

「喋れてる……?」

 それだけじゃなく、体が軽くなった気がした。
 不自由だったはずの体が、容易に動いた。
 僕はベッドから降りると、生まれて初めて「跳ねる」という行為をしてみた。
 確かに伝わる、固い床の感触、筋肉の軋み。
 
「動ける……喋れる……」

 僕は初めて走って、母さんに伝えに言った。ついでに初めて大声も出した。
 流石の母さんはもこれにはびっくりして、涙を流して喜んでくれた。
 僕も嬉しかった。心の中で、リアラに感謝した。
 
 彼女は言っていた。南の部族では「まじない」、僕らの国では魔術―しかしこれはずいぶん昔に廃れ、無くなっていったもので、今では存在していたのかどうかすら怪しい、そう言う代物である。
 彼女はそれと同じものが、南の部族にはあると言った。
 僕はそれをあまり信じていなかった、なにせ彼女はそう言いつつも、自分が使うわけではなかったから。確かその時に、儀式を用いれば何とやらと、そう言っていた。
 どうやらそれを用いて、僕の喉と体を治してくれたらしい。

 本当に、本当にありがとう。



 これで終わっていれば、ちっとも悲しくなんて無かった。
 だから、これで終わりと言うことはない。

 それから一ヶ月、僕は自分の足で街へ出向いた。
 賑わうような街でないはずだったが、僕にはどれもこれも新しく目にするものばかりで、楽しくてしょうがなかった。
 そんな僕が一番気に入ったのは、図書館。
 決して大きな建物ではなかったが、質実剛健と言う形容が似合う外装、落ち着いた色調でまとめられた室内。蔵書量も僕の持ってる本の何十倍とあって、それを係の人に話すと、首都にはもっとずっと大きな図書館があると知った。僕は生まれて初めて行ってみたい場所ができた。
 厚い本、薄い本が並ぶ中、僕が気になったのは、ある紙。
 正確には、灰色の薄い紙を何枚も重ね、冊子状にまとめたものである。
 とりあえず、係の人に聞いてみた。

「ああ、それね。それは新聞って言って、最近起こったニュースをまとめて、二日に一回契約者に配るのよ。もっとも、こんな辺境だと一週間遅れてくるんだけどね」

 最近起こったニュース……思えばそんなものにはずっと縁の無い生活をしていた。
 とりあえず現在おいてある中でもっとも古い三ヶ月前の新聞から全て読んでみることにした。


 流石に三ヶ月分はそう容易に読み終わる物ではなく、先週の新聞にたどり着くまでにほぼ一週間通い詰めることになった。読み始めると以外に面白い新聞に、僕はこれからも通って読み続けることを心に決めた。
 僕は先週の第2号を元の場所に戻すと、今この図書館にあるもっとも新しい物をとり、椅子に座る。
 一面記事に、目を…通…す?
 信じがたいことが僕の目に飛び込む。
 それでも僕は、そこにあるものを読み進めた。

「……嘘だろ…」

 誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。
 そこに、こう書いてあった。

 遂に滅びる マルス族
 隣国から逃げてきたマルス族(※南方部族の一派)の生き残りが、我が国で遂に全員死に至った。
 最後まで残っていたマルス族の姫、リアラは王都で呪いの術を使おうとしたところを発見され、翌日斬首刑となった。呪いの術を使おうとしたのを発見、阻止したカルナス=ボーダー氏(33)には国王直々に賞賛の言葉が与えられ、騎士の称号も授与すべきだという声も―――

 時間を、戻して欲しかった。
 こんなことなるんだったら、彼女を絶対に行かせなかった。
 彼女が何をした?マルス族が何をした?彼女が何をしようとした?
 いったい何がいけない?誰が?何を?何のために?どうして?

 わからなかった。
 何もかも。
 悲しさだけが全身を駆け巡って、蠢いた。


 そうやって悲しみくれたのは三ヶ月、それからマルス族が何をしようとしたかをずっと調べ、ひとつの答えを出すために三ヶ月、それからは新聞に載ることのない意見文を送り続け、行き場のない力を誰も読むことのない文章へと注ぎ込んだ。
 
 結論は思っていたよりもずっと簡単だった。
 隣国では現在、食糧難が続いており、平民は国家に怒りを感じていた。
 そして国家がとった政策は確実で、子供じみた物だった。

「悪いのは森にはびこるマルス族だ。奴らの呪いでこの国は滅茶苦茶にされてしまった」

 馬鹿みたいな話だけど、それを嘘と行ってくれるものは何もなかった。
 そうして彼女たちは逃げることになった。隣国はマルス族を捕まえたものには賞金を出し、憎悪で意志の統制をはかった。そして僕らの国は平和続きでなまっている軍隊を用いて、逃げてきたマルス族の駆逐をはかった。
 あのとき行かせなかったにしても、結果は変わらなかった。リアラは既に街の人に見つかり、そのうちに軍隊に連絡が入り、僕の家に軍隊が来て、彼女を連れて行って、そして処刑していたことだろう。
 無力な自分に、吐き気がした。
 それを認めてしまう自分を、僕は蔑んだ。

 

 結局のところ、人間なんてものは何かを虐げないと生きていけないらしく
 肌の色が違えばそれを嫌い
 風習が違っても認めない
 自分たちが持たないものは悪いものとする

 リアラは マルス族は この世界の被害者だ

 人間は、差別をしないと生きていけない。
 自分が誰かより優れていなければ、死にたくなる
 自分が間違っているのは、何よりも怖い
 だから彼らは、自らより劣り、間違ったことしか言わない連中というのを勝手に作り出す。
 同じ人間の筈が、何故か違って。
 何が違うかもわからず、みんな盲信する。


 今年も冬は過ぎるだろう。
 また少しずつ、春が来る。
 誰かは嫌われ、誰かは好かれ、誰かは差別されながら、それが変わることなく明日が、来週が、来月が来て、次の季節へ変わるだろう。
 きっと次の冬にまた思い出して、心を痛めて、感謝する。
 僕ができるのは、それだけしかないから。




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 軽くあとがき…
 なんだかね、こういうテーマのものが書きたかったんですよ、それだけのための作品。
 話的におかしなところはそれなりにありますが(いきなり体が動いたり)、最後の部分が重要だったのと、時間が無かった…(オフの同人とは関係ない締め切り…)  まあ、及第点になる程度にはまとめられたとは思います。感想あったらこちらへ
 余談。背景意外に頑張ってたり(笑)
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